「おーいライダー、借りてた本返しに来たぞ、って何読んでるんだ?」

「フクザワユキチという人の書いた『学問のススメ』ですが」

「福沢諭吉、だよ。天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、っていうアレか。人間の平等を語った本だよな確か」

「違いますが?」

「え、そうなのか?」

「はい。よろしければ少し解説しましょうか? なかなか興味深いですよ」

「何か面白そうだな。よし、良い機会だから教えてくれ。有名な本なのに、内容を知らないんじゃちょっと悔しい」

「わかりました。では……」


ライダー先生の学問のススメ
 そのいち:天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず……というけれど

天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず。だから人間は平等なんだよ。……という出だしから始まるのが福沢諭吉著の『学問のススメ』な訳ですが」

「うん、教科書なんかじゃそう紹介されてるぞ。実際はどう違うんだ?」

天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず。だから人間は平等なんだよ。神様はそういう風に人間を作ったらしいけど、でも実際は学問のある人や無い人や、お金のある人や無い人、身分の高い人や低い人がいる。こーんな風に人間には色んな差があるのがどうしてか、知ってるかベイベー!?」

「……とまあこれくらい違います」

「何故に藤ねえ?」

「解り易そうでしたから。インパクト重視です」

「それは概ね否定しないけど……。まあ確かに人間色んな差があるよな。金のある人とか無い人とか」

「リンの場合は金遣いが荒いだけですから違うと思いますが……まあそれはどうでもいいですが」

「どうでもいいのか……まあさておき、人間の差には理由がある、って言ってるんだから、当然その理由にも触れている訳だよな」

「はい。タイ……いえ、福沢諭吉はそれをこの様に説明しています」

「イエス! それは学問!!」

「無茶苦茶断言してるな……」

「まあ、簡単に言ってしまうと、世の中難しい仕事をする人のことを身分が高い人、というわけです。例えて言うなら政治家とか。王様が偉い、とされている理由がここにあるわけです」

「我が家の王様とか金ピカを見てるとそうは見えないんだけどな……」

「喰っちゃ寝のニート王とか成金王を見ていると正しい認識が出来なくなりますよ? 筆者はギルガメッシュ派だそうですが。簡単に言うと、王様の仕事というのは民を富ませ、外敵を排除する訳です。とても学識の無い者には出来ない仕事なんです」

「確かにそうだな。馬鹿が国の舵取りをするとどうなるか……実例があるもんな(2007年3月現在)。隣の国で良かったと本気で思うけど」

「ええ。話を戻しますが、他の人には出来ない仕事を出来る人こそが偉くなり、裕福にもなって他の人から尊敬される、ということです。福沢諭吉は、それを学問の有無によるものである、としたわけです」

「でも、それなら学問してればいいのか、っていう話になるぞ? どう考えてもそうじゃないように見えるけど」

「ええ、その辺りに関しては、以下のようになっています」

「役に立たない知識はノーサンキュー! 生活に必要な学問が無けりゃダメダメ!」

「つまり、役に立つ学問を覚えろ、ってことか」

「はい。学問のススメの中では、『ただ難しい文字を知り、難解な古文を読み、和歌を楽しみ、詩歌を作るなどといった、社会に出て役にも立たないような学問のことをいっているのでは無い』と言っています。
 別にこういった学問がまるっきりダメと全否定をしているのではなくて、それよりも先に学ぶべきものがあるよ、としている訳です」

「確かに、社会に出たらまず食べていけないと話にならないしなぁ」

「そういうことです。当時ですといろは四十七文字、手紙の文章、帳簿のつけ方、算盤の稽古、計量の取り扱いなどが挙げられています」

「今で言うと、常用漢字、手紙の書き方、ワードかエクセル、パソコンの基本的な扱い……ってとこかな」

「まあ確かに、出来なくても困らないものではあるかも知りませんが、社会に出て恥をかかないためにはそれくらいは必要ですよね。特に社会人だと。社会人にもなって公的な場所での言葉遣いが出来なかったり、書類一つ作れないとなると……」

「……確かに困るな」

「福沢諭吉はそこから更に進んで、更に学ぶべきことは多くある、と説いています。
 具体的に言うと地理、究理(物理)、歴史、経済、修身(道徳)ですね。所謂『常識』、という代物です。

 地理は自分たちの住んでいる場所や国、果ては隣の国や世界を知る為に必要です。

 物理、と書くと必要なさそうに思えますが、万有引力とか地動説とか、電気の性質とか雨が生態系をどう循環しているかなどの、自然科学です。

 歴史は自分たちの国の成り立ちや、他の国との関わり、あるいは他の国そのものを知る為に必要なものです。

 経済は……国の財政とか市場の動き、身近なところで言えば家計です」

「それは身に染みてる。もう嫌ってくらい」

「で、最後の道徳は、自分の行いを戒め、他の人とより良く付き合うために必要なものです。よく成人式に暴れたり暴言吐いたりしている新成人がテレビで取り上げられたり、人とまともに話せずにファビョる人などが存在しますが、アレを見ていると道徳の大事さを痛感します。
 この辺り、文部省が推進したゆとり教育なんて何を血迷ってるのかと小一時間説教したくなりますが」

「義務教育というのはこれら基礎知識を学ぶ上で必要なものなのです!
 そもそも進路に必要の無い学問は必要ないだとか寝言を言う学生、挙句に必要単位を修得させていない学校がありますが、義務教育とは物事の論理的な考え方や、バランスの取れたものの見方を身につけるうえで必要なものなのです!!」

「それを切り捨てるというのはどういう了見ですか。それとも日本の学力低下から国力低下を目論んだ某特定アジアの陰謀ですかこれは!?」

「ライダー、武装の挙句に魔眼殺しは外さないでくれ怖いから」


「ともかく、基礎知識の大事さは否定しない……っていうか知らないと本気で恥をかくよな……。
 でもそういうのって、まともに取り組むと結構大変じゃないのか? 確か幕末とか明治にかけていうと、洋書を訳して読まなきゃいけない訳だしさ」

「そうですね。ですが、それについては福沢諭吉はこの様に言っています」

「そんなものは海外の専門書を、やさしい日本語で訳したものを読めばいいじゃん」

「身も蓋も無いな……」

「ですが事実です。ただし、それを理解するためには上で挙げたように、せめて常用漢字クラスの読解力だとか、今の時代に自力で調べるならパソコンでネット検索するくらいの力が必要になってくるわけです」

「で、そういうものをきちんと皆が持ってないとだめだよ、ってことか」

「はい、そういうことになります」



「けどさライダー、学問のススメってつまり学問しようね、っていう本なのか?」

「いいえ。確かにそういう部分があるのは確かですが、扱っているのはもっと広範な問題です。例えば、学問のススメでは『自由』というものについての話が出てきます」

「自由? それってもしかして、最初の……」

「はい。天は人の上に人を造らず。人の下に人を造らず。だから人間は平等である。この辺りに関しての話であるわけです。人間は確かに平等であり、生まれたときから自由に生きる権利を持っている、と」

「ああ、なるほど……」

「自由だからっていって何してもいいって訳じゃないんだぜ!? そこんとこ履き違えるなよユー!!」

「……とも言っていますので、短絡的に人間は自由で平等である、なんて思わないで下さい」

「ああびっくりした……まあ言いたいことは解るけど、具体的にはどういうことなんだ?」

「例えばですね、自分のお金だからといって贅沢三昧をやったり、人に迷惑を掛けて良い訳がありません。例えばアレのように」

「まあそりゃそうだよな。自分の自由だからって、人に迷惑を掛けていいはずがない」

「幾ら自分の金であろうとも、公序良俗に反したり、他人に迷惑を掛けて良いわけではない。自由とはそうしたものだ、と福沢諭吉は言っている訳です。

 筆者が大好きな某アニメには、
 『雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい。自由とはそういうことだ!』
 ……という台詞が出てきますが、雨の中で踊るのは本人の自由ですが、他人に水をはね散らかしたり、ずぶ濡れのままどこかに上がりこむ、などという所業は他人に迷惑を掛けるので許されない、ということでもあります。

 なお参考までに、オウム事件の最中、お亡くなりになった故坂本弁護士の逸話にこのようなものがあります。
 詐欺商法や脱会問題などについて問題になったオウムの幹部がある時、坂本弁護士にこのような台詞を言い捨てたそうです。

 『我々には信教の自由がある』と。

 それに対し坂本弁護士は、

 『他人に迷惑を掛ける自由など存在しない』――そう仰ったそうです。

 自由の意味というものが、はっきり表れた事例だと思います」

「なるほどな……確かに。世の中やって良い事と悪いことがある。当たり前のことではあるんだけどな」

「自由と自分勝手はまったく別のことです。
 また、福沢諭吉はこの自由、そして独立というものを、国家にも当てはめて説明しています」

「国に?」

「はい。幕末の動乱期、鎖国だ攘夷だ開国だ、と国論が割れていましたが、そのうちで鎖国と攘夷のどちらも馬鹿げている、と言うんですね。井の中の蛙、とすら言っています」

「日本も外国も、同じ地球の上にあるし、同じ太陽と月を浴びて生活しているんだ。みんなみんな生きているんだ友達なんだ〜〜♪
 だったら、みんなで仲良くして、お互いに支えあったり貿易したりして、みんなで幸せになろうYO!」

「そうか、確かに考えてみれば人間と同じなのか」

「はい。その上で、道徳に基づいて国際交流を結び、正しい道理を元に行動すべきだ、と。この辺りは前に言った修身、道徳のことですね」

「悪いと思ったらアフリカとかの後進国の人にも頭を下げる。正しいと思ったら大国が脅してきても受けて立つ。喧嘩上等!」

「ちなみにこの辺り、福沢諭吉は攘夷の事を『外国人と見たら攘夷攘夷と蔑み、挙句の果てに実力差も知らずに追い出そうとして、逆に痛めつけられた国などというのは、愚の骨頂である』と思いっきりけなしてます」

「人間で言うと、無知な上に自由の意味を履き違えた、わがままな真似だよ、ってことか」

「はい、そういうことです。
 話がやや逸れますが、福沢諭吉が『脱亜論』にて特定アジアに対し、

『お前ら特亜にはもううんざりだぜ! とっととこんな奴等とは手を切ろうZE!!』

 とすら言い切っているのは多分この辺りが原因では無いかと。勿論他にもあるとは思いますが。
 更に言うと、ハルノート後に日本が太平洋戦争に突入した思想的な遠因の一つも、この学問のススメで挙げられているのではないか、と思ってみたりします。
 開戦の理由や経緯等については完全な脱線となりますし、他の方の授業の方で詳しく扱っていますので、そちらを参照してくださればと思います」

 


「で、他には何かあるのか?」

「そうですね、平等、ということに対して、江戸時代まで存在した身分制度にも言及していますね」

「身分制度、っていうと士・農・工・商、ってあれのことか」

「はい。その身分制度というものを、福沢諭吉は忌み嫌っていたようです」

「別に自分が凄いから侍になって支配してるんじゃないだろーが! 単に侍の家に生まれたから侍やってるだけで、能力の欠片もないくせに何お前ら威張ってやがるか!?」

「……とまあそんな具合です」

「毎度思うけど凄い要約の仕方だな……」

「解り易さ重視ですので。解りにくかったら世界史コンテンツの傍流のそのまた傍流を名乗る意味すらなくなります。まあ、もしそんな事にでもなれば筆者が責任を取ってハラキリするだけですから、別にかまいませんが」

「傍流の傍流、って……それに切腹はまずいだろ切腹は」

「歴史そのものを扱ってないけど、日本近代化の原動力ともいえる書物なんだし触れなきゃだめだろ……程度の理由で歴史コンテンツに踏み込んだ筆者には丁度いい扱いだと思いますが。……まあそれはさておき」

「うん」

「つまるところ、別に侍や役人そのものが偉いわけではない、と言っているわけです。
 侍や役人が偉いと思われているのは、その地位、ポストが偉いと思われているに過ぎない、ということです」

「ああ、最初の方で触れた、難しい仕事をする人は給料も良いし尊敬もされる、っていうやつだな」

「はい。ですが封建制度の身分秩序では、地位は能力よりも生まれ、世襲が重んじられる事になってしまいます」

「それはちょっとまずいよな。国を引っ張る能力の無い奴に元首になられたらどうなるかわからないし」

「そういう意味で、世襲で国の行く末を誤った北や、民主制度を敷いている割に能力の無い元首を担ぎ上げてホルホルしている南は、多分根本的な意味で学問が足りないと思います」

「まあそれはさておき、つまり学問や自由、平等なんていうものは、個人だけじゃなく国の地位を高めるのにも大事なことである、ってことなのかな?」

「というかそれが福沢諭吉の言いたいことだと思います。
 欧米列強に吸収、植民地にされずに、日本が日本として在る為には何をすべきか、何が必要なのか。それを説いたのがこの『学問のススメ』という書物です」

「凄い本だったんだな……」

 


「では今回の最後に、その『福沢諭吉が言いたいこと』というのをまとめてみることにします」

「要するに、人も国家も、お天道様に恥じない道理に従った『独立』と『自由』が大事なんだベイベ!
 でも勘違いしちゃいけないぜ、誰にだって立場があるから、それに応じた『才能』と『品格』が大事なのさ!
 で、それを身につけるためには学問で物事の道理を知らなきゃならない。だから学問は大事なのであーる!!」

「ふむふむ……」

「こうも言っていますね。

『世の中に無学でバカな者ほど憐れで、そして嫌われるものはいない。
 無学なるものは恥を知らないし、自分の馬鹿さ加減が原因で貧乏になったのにも関わらず、それを自分のせいだとは考えないし、富めるものを恨んだりする。酷いものになると徒党を組んで富めるものを襲ったりするから始末に負えない。
 これは恥知らずと世の中で言うものであって、法を恐れぬ不届きものだ。
 何故かというと、自分は国の法律で守られているのに、不都合な部分だけは平気で法を破るからである』

……福沢諭吉が脱亜論を展開したのも無理はない、と思ってしまうのは筆者だけでしょうか……しかも明治初期から何も変わっていない気がしてしまうのですが」

「い、いや気持ちは解るけど、とりあえず今は脱亜論で特定の民族を相手にしてるわけじゃないんだしさっ」

「それもそうですね。気を取り直して続けますが、こういう国民を政府が統治する場合、どうしても苛烈な締め付けをする事になってしまう、とされています」

「んー、法を守らない、っていうんじゃ締め付けるしかないよなぁ」

「その通りです。福沢諭吉は『学問のススメ』の中で、こう主張しています」

「政治が穏やかになるか厳しくなるかは、国民で決まるんだよぅ。
 なんでかって? そりゃ何も知らないで、よその国に恥を晒すような国民は締め付けるしかないじゃん。
 国民が他の国から見て恥じるようなところがない文明国になれば、しぜーんに締め付けは緩くなるようなものだよ?」

「極端なことを言えば、国の法律などというものは生活の決まりとそれを破った時の罰則が、そのほとんどを占めてしまっているわけです。誰もそれが厳しくなることを望むような人はいない。緩やかに暮らせることを嫌がる人もいない、ごく当たり前のことなんですけど」

「それはそうだよな。誰だって住みにくいよりは住みやすいほうが良いに決まってる」

「その通りです。勿論国民がマトモでも上が悪いと締め付けは厳しくなりますが、その辺りはまあ、今回は触れないということで」

「今回は原則論、ってことだな」

「はい。それで、最後になりますが……福沢諭吉の語る学問の意味、というものに触れてみたいと思います」

「大切なのは、みんなが自分の行動をきちんと保ち、学問をやろうっていう意識と、広ーい知識を身につけて、それぞれの立場に応じた才能と人徳を磨くこと。
 それで、政府は政治を解り易く国民に伝えて、その政策が国民に平穏をもたらすよう務めるべきなの。売国奴とかはもってのほか!
 そして国民と政府が一つになって、わが国の繁栄と平和を築くことが、私のすすめる学問で、その目的はこの一点なのYO!」

「つまり、自分の生活と国を良くする為に、学問をしましょう、ということです」

「なるほどなぁ……現代でも立派に通用する考えだよな、これ」

「だからこそ福沢諭吉は偉人といわれる訳ですし、紙幣の肖像にも選ばれるほどの影響を残している訳です。
 『福沢諭吉がいなければ、日本の文明化は100年遅れていただろう』とすら言われています」

「う、ちょっと甘く見てた。これで全文なのか?」

「いえ、前文程度ですね」

「じゃあ今度また続きを頼んでいいかな。結構面白そうだし勉強になりそうだ」

「構いませんよ、機会があればまた説明します」

「じゃあ、これからしばらくよろしくな」

「はい、ふつつかものですが宜しくお願いします」

「ああ、こちらこそ……」

「――って、えぇっ!?」

 

 

 

 

「「アイコンを使用させて頂いた『眠りの園』様、この場を借りてお礼申しあげます。ありがとうございました(深々)」」


>>続くかも